







「遅いね先生」
チャイムが鳴ってからも、一向に先生がやってくる気配はなかった。
うちの先生はたまに遅刻をするけれど、今日ほど長かった日はないかも知れない。
「もしかして病欠とか?」
「でもそれなら、もう代わりの先生が来てるはずだよね?」
色々と憶測が立ち始めた頃、がらりと教室の扉が開いた。
「皆おはよー。今日も元気してるー? ふわぁ……」
朝のホームルームが始まってから数分後、欠伸をしながら先生がやって来た。
「眠そうですね、星之宮先生」
「うーん、ちょっとねぇ。昨日飲みすぎちゃって……はふぅー」
「うわ、お酒臭っ! 先生お酒臭いです!」
最前列に座っている千尋ちゃんが鼻を摘まみながら悲鳴を上げた。
「だいじょぶだいじょぶ。お昼には抜けてると思うから」
そう言う問題ではないような……。ちょっとだらしない先生だ。
でも、そんな先生だからこそ、このBクラスは明るい雰囲気なのかも知れない。
「あーもうこんな時間。今日は時間の流れが早いよねぇ」
それ、先生が遅刻しただけだと思います。クラスの大半の生徒がそう思ったに違いない。
「先日皆に受けて貰った小テストの結果を返したいと思います。それから、今後の流れについても詳しく説明していくので、聞き逃さないようにしてね」
星之宮先生独自の弛緩した空気の中、黒板に張り出されていくテスト結果。
そして、そこでは個人個人が何点であったか。
赤点のボーダー。中間テスト以降赤点を取れば即座に退学であること。
テストの結果はクラスのポイントにも影響を与えていくことなど。
特異な学校の制度が説明されていく。一通り説明を終えたところで、二日酔いの影響が出たのかタイムと言っていったん退室する先生。
程なくして戻ってくると、ちょっとすっきりした顔をしていた。
「先生。少し質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
不在の間に考えていた案を話してみることにする。
「はいはーい。何かな? 一之瀬さん」
「この学校が実力主義なのは分かりましたし、テストを元に今後クラスの評価をしていくことも理解できました。そこでお聞きしたいのは他クラスの結果です。本来なら個人的な点数をお聞きすることは出来ないと思いますが、事実Bクラスの点数は公開されました。であるなら、競争させる進学塾のような制度を取り入れているこの学校ならば、全てを開示してもらえるのではないかと」
「やっぱり目の付け所がシャー……違うわね、一之瀬さんは。もちろん他クラスの点数も開示されてるわよ。個別じゃなく、平均点だけだけどね」
そう言い、星之宮先生は笑うと、もう一枚の小さな紙を張り出した。
私たちBクラスを除く3つのクラス、その平均点が記入されている。
「もしかして、誰かが聞かなければ教えて貰えませんでした?」
「うんそうよ。だって教える決まりはないもん。聞かれて答えられることだったから教えただけって感じ?」
あっけらかんと答える様子は、それが普通だということを示していた。
どうやらこの学校、私が考えるよりもずっと複雑というか厄介なのかも知れない。
競わせる方針を打ち出していながらも、必要最低限以外の情報を与えない。
自分たちで導き出して、一つ一つ解決していかなければならないようだった。
「でもさでもさ、俺たちって結構凄いクラスだよな。Bだけど」
クラスのムードメーカーである柴田くんが、平均点を見比べて言った。
確かに小テストの結果を見る限り、このクラスの平均点はAクラスとそう変わらない。
その差は2点ほどしかなかった。抜き打ちの小テストだったことを考えても、学力においてはほぼ変わらない結果だということが窺える。
中間テストに向けてしっかり対策を練れば点数上では追いつける気がする。
先生が教室を出た後、クラスの生徒たちは思い思いに雑談を始めた。
「にしてもさー。やっぱ下のクラスほどバカってことなんだなー。Dクラスなんてクラスポイントはもう0だし、今回の小テストもダントツで平均点が低いしよー」
柴田くんの意見に一部の生徒が賛同する。
確かに学校側からの通達では、そうとしか読み取れないかも知れない。
でもその思い込みは、今は持つべきじゃないと私は思う。
けど自分たちの平均点の高さを見たクラスメイトたちは、浮足立つように騒ぎ出した。
「確かに、今のところそう判断するしかないけどさ。本当にそれだけなのかな?」
波紋を呼ぶ覚悟で、私は一石投じることにした。
「え? どういうことだよ一之瀬」
「もし本当に学力だけでクラス分けされたなら、下位クラスほど逆転は無理じゃない? 全ては努力次第だって言っても、背負ってるハンデは小さくなんてないもん。優秀な人間だけがAクラスに集まっているなら、ほぼ逆転は不可能だからね。気負って過ごす必要はないけど、この結果だけで気を抜くのはダメじゃないかな」
「俺も同感だ。DとAとには確かに明確な差がある。だが、学力だけの判断ではないだろう。事実、一之瀬は入試を首席で合格している。点数だけでクラス分けするなら間違いなくAクラスだ」
「なるほど……確かに」
「私に何か欠点やミスがあってBクラスなんだとしたら、同じように点数は高いけど問題点があってDやCに入った子たちも結構いると思う」
つまり学力=クラス分け、ではなくて総合力で競わされているのなら、テストの結果次第では下位から詰められてしまう可能性も十分あるということ。優秀な人材がいれば、今は勉強が出来ない子たちでも、教え方次第では一気に伸びてくるかもしれない。
3年間という長い戦いではあるけれど、ポイントを増やしていく方法がまだ明確じゃない以上、今のうちから差を詰めていかなければ離されていく一方だね。
「今のところ、このクラスから赤点で退学者が出ることはないと思うけど、中間テストに向けて皆で勉強して平均点の向上を目指した方が良いと思う。どうかな」
「賛成ー! 私ちょっと不安なところあるし……一之瀬さん教えてくれる?」
「もちろんだよ」
そう答えると、次から次へと参加者が集まってきた。
「わ、わ。思ったより多いね、ちょっと待ってね」
人数を数えると、15人。私一人だと、さすがに手に追えないかな……。
誰かに協力をお願いしようと視線で助けを求める。
「俺が協力しよう」
それに応じてくれたのは、今まで殆ど絡むことのなかった神崎くんだった。
「いいの? 神崎くん」
「ああ。Aクラスを目指す一人として協力できることはさせて貰うつもりだ」
寡黙、質実剛健という印象の彼は、普段から静かで大人しい存在だった。
そんな神崎くんからの申し出を私は素直に受けることにする。
発表された小テストの結果も私と変わらない点数を獲得しているところから、学力の高さも窺える。指南役としては申し分なかった。
「ありがとう。是非よろしくお願いするよ」
それから、後日改めて私たちは図書館に向かうべく集合していた。
神崎くんの協力があるといっても、一度に15人は多すぎるということで、まずはお昼休みと放課後の2部に参加者を分けて勉強会を開くことにした。お昼の参加者は7人。
赤点回避は当然として、打倒Aクラスだ。志はちょっと高いくらいが目指しがいがある。
「一之瀬さんって、入試トップだったんでしょ? それに真面目だし、面倒見もいいし……どうしてBクラスだったんだろう。私不思議だよ」
どうして? そんなこと考えもしなかったな。
「もしかしたら学校の間違いなんじゃない?」
「うーん。学校がそんなミスするとも思えないし。それに私は、今のBクラスの皆が好きだから。どうせAになるなら、今のクラスでなりたいな」
それは本心だった。まだ出会って何カ月も経たないけれど、私にとってBクラスの皆は大切な友達であり仲間だ。私だけがAクラスに行くなんて考えたくもない。
「一之瀬さん……大好き!」
両手を広げ、千尋ちゃんが私を抱きしめてきた。それが妹と重なって見えて思わず頭を撫で撫でしてしまう。嫌がることなく、千尋ちゃんは気持ちよさそうに目を細めた。
「私Bクラスで良かった」
「私も私も!」
私と千尋ちゃんに抱き付くようにして麻子ちゃんも飛び込んできた。
「俺らも飛びついてみようぜっ」
「やめておけ。一気に場が凍りつくぞ」
女子の輪に加わろうとする柴田くんを、神崎くんが首根っこ掴んで抑えてくれた。
「流石に結構いるね……」
図書館は思ったより混雑していて、一見しただけでも複数のグループが勉強に励んでいた。一年生だけじゃないところから察するに、やっぱりテストは重要な存在なんだろう。
空いたスペースに私たちは席を確保し、先生に教えられたテスト範囲を着実に復習していく。基礎が出来てる子たちばかりだから特に問題もない。
黙々と勉強を進めつつ、時折飛んできた質問に答えていると、周囲が騒がしくなり始めた。どうやら少し離れたところで、別グループが衝突しあっているようだった。
すぐに収まると思っていたけど静かになるどころか騒ぎがどんどんと大きくなっていく。
何があったのかは分からないけれど、どうにかならないのかな。
「一之瀬さん、別の場所で勉強しない? あっちの男子がうるさくて集中できないよ」
少しは大目に見ようと思っていたけど、他の子たちは限界のようだった。
「いい迷惑だよね、ほんと」
さっきまでの集中力が嘘のように、各自疲れたような顔を見せる。
「ちょっと注意してくるね」
私は立ち上がり、揉め始めている男子の下に行こうとした。
「待って待って。危ないって一之瀬さん。あそこにいるの須藤くんと山脇くんだよ?」
山脇君の方は分からないけど、須藤くんという名前には憶えがあった。
どこから飛んできた噂かは分からないけど、凄く暴力的な性格って話だっけ。
「代わりに俺が行こう」
「大丈夫だよ神崎くん。ここは私に任せて」
神崎くんが仲裁に入ることで、逆に事態を悪化させてしまう可能性がある。
男の子のプライドって妙に高いから、変な刺激になったら面倒だしね。
「はい、ストップストップ!」
私は揉めている当事者たちの間に、強引に割り込んだ。
「んだ、テメェは、部外者が口出すなよ」
鋭い視線と共に掴みかかる勢いで覗き込んでくる男の子。
苛立ちで高揚しているのか、顔が少し赤い。多分この子が須藤くんだね。
噂が立つだけあって凄い迫力だけど、彼の言葉に従うわけにはいかない。
「部外者? この図書館を利用させてもらってる生徒の一人として、騒ぎを見過ごすわけにはいかないの。もし、どうしても暴力沙汰を起こしたいなら、外でやってもらえる?」
大勢の生徒たちが勉強に集中できずに困ってる。他人ならいざ知らず、多くの友達もいる。私は彼らを見過ごすわけにはいかない。
「それから君たちも、挑発が過ぎるんじゃないかな? これ以上続けるなら、学校側にこのことを報告しなきゃいけないけど、それでもいいのかな?」
須藤くんの迫力に押され押し黙った山脇くんたちにも注意を促す。
ポイントに響く可能性をちらつかせれば、彼らの牙は大人しく引っ込んでくれるはず。
「わ、悪い。そんなつもりはないんだよ、一之瀬」
山脇くんは私のことを知っていたのか、そう答え謝ってきた。素直が一番だね。
「おい行こうぜ。こんなところで勉強してたらバカが移るし」
「だ、だな」
ただ引き下がったと思われるのが嫌なのか、彼らはそんな捨て台詞を残した。
きっとああやって火種を残すから喧嘩は絶えないんだろうなぁ。
とにかくこれで須藤くんも喧嘩相手が居なくなったし、一応解決かな。
それでも暴れ出すようなら、嫌だけど学校側に報告しなくちゃならない。
「君たちもここで勉強を続けるなら、大人しくやろうね。以上っ」
出過ぎた真似だけはしないようと思い、それだけ伝える。
須藤くんはまだ頭に血が上ってるかも知れないけど、その友達は落ち着いてるみたいだし。きっと大丈夫だね。
去り際、一瞬一人の男の子と目があった。
確か前に職員室の前で見たことあったっけ……。
そんなことを思い出しながら席に戻ると、千尋ちゃんは目を輝かせていた。
「さすが一之瀬さん。黄門様みたいだったね!」
「そうかなぁ? 普通に注意しただけだよ?」
「だって山脇くん、一之瀬さんって知って尻尾を巻いて逃げてったし」
「どうしてだろうね?」
私は山脇くんとは面識がないはずだけど。
「ほら、前にCクラスとうちのクラスが揉めた時、一之瀬さんが解決させたじゃない? きっとそれでだよ。凄く怖がってたもんね、Cクラスの子たち」
「一之瀬って怒らせると怖そうだもんな」
「う、そ、そうかな……」
男の子に恐れられるって……。なんだか女の子としてショックかも。
残念なことに、私はそのことが頭から離れず、昼休みは勉強が身が入らなかった。